内側と外側。

考えるようになったのは、北京留学をした時から。
アタシが内側じゃなくて外側の世界を知って、
誰かの思うがままにその世界に引き込まれていくようになってから。


外側の世界を知ってしまったアタシは最初、
内側に戻るのが嫌で仕方なかった。
だって、もっと知りたいじゃない。アタシの知らない外側を。
同じ時間を過ごすなら知らない事を知りたかったのです。
更に、旅行だけでは知りえる事のできないそのモノコトに気付いたアタシは、
だから外側の世界に、少しの間根付くことを決めて、ココに居るわけです。


海外に夢焦がれるイチ日本人ってところでしょうか。


昔、シャングリラというところに一人で旅行した時。
チベット族のおばあちゃんに出くわした。
シャングリラというのは雲南省にあるチベット自治区
シャングリラと言うのはチベット語で中国語に直すと
「心中的日月」=「心の中の太陽と月」
アタシはちょうどお寺までの階段で休憩していたら10段下でおばあちゃんも腰を下ろしたんだよね。
何も知らないアタシはおばあちゃんに
ポタラ宮には行ったことある?」
と訪ねてみた。おばあちゃんは「ない」と即答。
「でも、チベット族の憧れの場所なんでしょ?行かないの?」
と聞くと、「ココに勝る場所はない」と。


その時に初めて気づいたのは、
外を見るだけがすごいことじゃない、ということ。
生まれたその場所で、その民族として、
その文化、習慣、風習の中で精一杯生きていくことが、
シンプルだけど、どれだけ難しくて奥深いかということ。


アタシは北京に行く前に、
アタシの神髄にあるものを削ってでも、
他のものを吸収したいと思っていた。
でもそれは大きな間違いで、
それがあるからこそ、色んなことを感じられるんだと気づいた。


人の価値観はそれぞれだから、
何が正しくて、何が間違ってるなんてことは何一つもないけどね。


懐かしいなぁ。あの旅行からもう何年経ったんだっけ?
1人で1カ月旅行というのは前にも後にもあの時だけだったんだなぁと思うと、
本当にしておいてよかったなと思うわ。