北京へ

dunzi2005-07-02

行ってきました。
回想日記になっちゃうんだけど、まとめて3日間の小話&レポートを!


3年ぶりの北京。
着いた瞬間に懐かしい匂いがアタシを包んでくれました。


まず、何に驚いたって、北京の人の話す言葉がわからないということ。タクシーに乗ってホテルに向かう時、久しぶりの北京なんだよーとか色々話してたんだけど、話せば話すほど運ちゃんが何を言っているのかわからなくなって、終いには「わからない・・・」と言ってしまいました。いや、でも北京の人の話す言葉は「標準」なんだと改めて感じたのと、「キレイ」な中国語を喋るんだなぁと思った。上海と違って曖昧なことは言わないし、成語を交えて話したり、そこから土地の違いというか、歴史の重みが感じ取れました。北京に居た頃はあんなに普通だと思ってたことが方言のある地で生活してみると、ありがたいものなんだなぁと感じました。


人も上海と違って妙に優しい。
いつもケンカばかりしてしまう運ちゃんも、親切に色々話してくれて(聞き取れてなかったことの方が多かったけど・・・)ついつい自分がケンカ口調になるのに気づいてしまうと、申し訳ないと思ってしまいました。ゴメンナサイ。


交通事情も上海よりもよかった。
人がのんびりしている分、運転も危険を感じることなく、歩いていても「あの車は止まってくれるだろう」という確信も持てるほどでした。あと、割り込みも少ないし渋滞していても譲り合いの心が垣間見れたのもほほえましかったです。(というかそれが普通なのかな)上海では自分優先の原理がモロに働いていて、道を渡るのも怖ければタクシーに乗っていても割り込みしてくる車がまったく後方を気にしていないのにも恐怖を感じると言うのに。


ということで、久々の北京。
想像以上にゆっくりと時間の流れる街。
あの頃と変わらない町並みが残っていて嬉しかった。




まず行ったのは私の留学先「北京大学
ビックリしたことに留学生寮の前にあった中華料理屋もテニスコートもバスケットコートも韓国料理屋さんも全てなくなり、国際関係学部のセンターが建っていました。ビックリして言葉が出ませんでした。
でもでも!右を向いてみれば3年前とおんなじ勺園が。思わず苦笑いが出てしまったのはあの頃の自由な生活ではないところに居るんだと実感したのと、なんでもできると信じていた自分が傾いているからなのかなぁ。なんだか過去の自分に会っているみたいで懐かしい芝生の上に寝転んで見たら泣けてくるのかと思いきや、笑ってしまいました。
住んでいた部屋や、勺園仲間やストーキングしていた人の部屋なんかにも行ってみたりして、「ここは変わらないなぁ」と思いながら、4階のベランダからジャウウェイと過ごした部屋を眺めてました。早く会いたいです。ジャウウェイ。
ババクンのお墓参りもしてきました。


一通り懐かしさを感じた後は知り合い探しへ!
とりあえず、韓国人の知り合いがいるので、携帯に電話してみたらカード切れ・・・。いや、でもアタシ行くって言ったし会おうねって約束したし!と思って根気強く4号楼の前にいたらひょっこりサンミンが出てきました。なんだか急いでいる様子だったから夜に飲もう!ということになり、次!6号楼へ。
あいにく、夏休みに入っていたのでもう誰も居ないかもしれないなぁとか思いながらも、その人の名前を服務員に伝えると「居るわよー」と言って部屋へ電話してくれました。が、出てくれなくて部屋の番号を聞きつけノックしてみると、全く変わっていないジョンシャンが出てきました。とりあえず大好きな桂花清酒の高級バージョンをぐいっっと飲んで、餃子屋さんへ。迷わず「ばんさんすー!!!」と叫んだ声が大きすぎたみたいで周りの人がジロジロ見てて怖かったです。餃子の味も全く変わらない!いやいや、ホントに美味しかった。フェンスーの煮込みもこれが北京の味!というのをかもし出していて嬉しかったです。


その後は北京大学の思い出の場所を思う存分に歩き、新しい場所に案内してもらってグルグルグルグル。いやいや、懐かしかった。


夜はムーンハウスへ。
ドアを開けるとジョンシャンと国王(本名知らない・・・)と、岡ちゃん!!!!!(韓国人でサッカーの全日本元監督の岡ちゃんに激似)が居てビックリして抱きついてしまいました・・・。しばらくしてサンミンが現れ、はしゃぐこと到2時。なんだか知らない人も来てくれたりして嬉しかったです。カンパリオレンジの味も農村サラダの味も何も変わっていませんでした。


懐かしい1日でした。
続きはまた明日書こーっと。